冤罪・布川事件で獄中29年 桜井昌司さんに聞く 当たり前の道理を裁判でも

「日本の法システムを公正で正義のあるものに変えたい」─。
1967年に茨城県利根町布川で起きた強盗殺人、「布川事件」の犯人とされ、2011年に再審無罪になった桜井昌司さん(74)は、がんとたたかいながら冤罪のない社会実現へ声を上げ続けています。

(茨城県・高橋誠一郎)

迫られた自白強要

無実の罪で、共犯とされたもう一人の男性と20歳の秋に逮捕。
事件当日、兄のアパートにいたアリバイを、警察が「兄が否定している」とうそを告げ、目撃証言をねじ曲げて自白の強要を迫られました。

「毎日『お前が犯人だ』と言われ続け、主張も聞き入れられない。一般社会は、警察がこちらの言ったことは調べてくれるし聞いてくれると思っているが、本来は人を疑うのが仕事。それが社会と冤罪体験者とのギャップなんです」。

1978年に無期懲役が確定し、29年間の獄中生活。
「刑務所での時間は、自分の人生で貴重な時間だった。不自由だからこそ感じたり分かったりしたことがあったし、自由の身では気づけないことがあることを骨身に染みて理解できた。精神的につらい時は、自分が広い空の下で自由だと思い込むことで苦しさを紛らわしていた」。

桜井さんは、その姿を今月出版したエッセイ集『俺の上には空がある広い空が』のタイトルにしました。

「心折れるなんてのはあり得ない。ただ2度目の再審請求の時は、これが最後だと必死だった」。

検察が隠し続けた2人の事件関与を否定する、「毛髪鑑定書」などの新証拠が明らかになり、2005年に再審開始が決定、11年5月に再審無罪を勝ち取りました。

親の苦しみ思えば

著書で語られているのは、無罪確定を知らずに亡くなった両親への思い。
「一番つらかった。冤罪被害者というのは社会にいる家族の方がつらい。自分の痛みも、親の苦しみを思えば大したことはない」。

がんで約1年余りの余命宣告を受けたのは20年2月。現在は病とたたかいながら、冤罪のない社会の実現を訴え続けています。

「警察が集めて検察が見た証拠は、同じように弁護士も見て、その証拠に基づいて主張するのが道理です。この当たり前の道理を日本の裁判でも適用させたい。警察や検察が証拠開示を妨害しているのは、全ての証拠を出せば間違いなく多くの冤罪が明らかになるから」。

社会は変えられる

6月25日には、19年に警察・検察の違法捜査と証拠隠しを断罪した布川国賠訴訟の控訴審判決が東京高裁で言い渡されます。

「道理で社会に訴えていく。少しずつ、一人ひとりの価値が大事にされる社会になっているのは間違いない。社会は変わるし変えられる。これからもそう思える生き方をしていきたい」。

(「しんぶん赤旗」2021年4月28日付より転載)

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