常総水害1年 79世帯、今も「みなし仮設」 共産党、住宅再建へ支援

2015年9月の関東・東北水害から9月10日で1年を迎えました。
鬼怒川の堤防決壊で広範囲な水害に見舞われた茨城県常総市では、復興の動きが広がる一方で、甚大な住宅被害があった地域では、いまも多くの住民が避難生活を余儀なくされています。

(笹島みどり)

常総市では、市全体の3分の1(約42平方キロ)が浸水し、死者2人、重軽傷44人の人的被害とともに、全壊53戸、大規模半壊1,578戸などの住宅被害が出ました。
とくに堤防決壊現場の三坂町などは、ほとんどの住宅が全壊・大規模半壊しました。
1年たった現在も79世帯197人が、住み慣れた地域に戻れず、市が「みなし仮設」として用意した市内外のアパートなどで暮らしています。
「常総市水害・被害者の会」共同代表世話人の染谷修司さん(72)は、「仮設は来年の10月までです。多くの避難住民は元の場所に家を建て、地域のコミュニティーを取り戻したいと願っている」といいます。
日本共産党は、避難住民が元の生活やコミュニティーを取り戻せるように、住宅再建への支援充実を求めています。
塩川鉄也衆院議員、梅村さえ子衆院議員は8月29日、神達岳志市長と意見交換し、席上、避難住民を含む全被災世帯を対象にした実態調査の実施を提案。
市長は、「三坂町などは土砂の流入や地盤浸食が激しく、土地の整地から始めなくてはならないが、自宅再建に向けて早急に意向を調査したい」と表明し、9月2日に市はみなし仮設の避難住民を対象に調査を始めました。

粘り強い運動で支援策前進

関東・東北水害で甚大な被害が出た茨城県常総市では、この1年、被災住民らが、国や県、市に対して被害の実態を訴え、対策の充実を求めて粘り強く運動してきました。
日本共産党は民主団体とも力を合わせて、被災住民の運動を全面的に支援し、対策を前進させてきました。
水害発生の1週間後、共産党県委員会は、常総市の有志や県内の民主団体と共同で、市内にボランティア活動の拠点となる「吉野サポートセンター」を立ち上げました。
センターには、全国からボランティアが集まり、泥出しや家屋清掃に尽力。
現在も月に1回程度の物資配布会を継続しています。
また、被災住民への丁寧な聞き取り調査を行い、国や県、市への要請などに取り組んできました。
センターの取り組みなどを通してつながった被災者らは、「常総市水害・被害者の会」を立ち上げました。
「被害者の会」は国への交渉のなかで、市の地域経済を支える農業の被害への支援を繰り返し求めました。
その結果、農水省は「営農再開緊急対策」として、農業共済の対象にならない保管米について1反(300坪)あたり最高7万円までの補償を実施することになりました。
これには市の農政課担当者も「実現されるとは驚いた」と話していました。
さらに国交省も動かし、若宮戸地区の自然堤防の復旧工事をめぐって、遮水シートとコンクリートを使ったより強固な工法に変えさせました。
「被害者の会」の染谷さんは、「被災者の生活と生業再建のために、水害から1年の大規模アンケートを用意しています。堤防が決壊した国交省の責任もあいまいにはできない。引き続き追及していきたい」と話しています。

「オール常総」の運動 力に
日本共産党県議団・山中たい子団長の話

茨城県は常総水害を受け、国の制度の対象とならない“半壊”の被災世帯にも支援金を給付する恒久制度をつくりました。
県と市が折半して25万円の支援金を給付する制度で、全国初です。
中小企業支援についても、現在「豪雨被災中小企業復興支援基金」(5年間)として実現し、最大300万円までの支援を受けられるようになりました。
この制度改善の大きな力になったのは、「常総市水害・被害者の会」などが繰り返し被害の実態を国や県に訴えつづけ、文字通り党派を超えた「オール常総」で運動してきたことです。
共産党は引き続き、被災住民の運動と連携して、全住民が一日も早く元の生活を取り戻すことができるようにがんばりたいと思います。
「しんぶん赤旗」 2016年9月10日付より転載)
※訂正
「常総水害1年」記事中、山中たい子県議の話で「県と市が折半して50万円の支援金を給付」とあるのは、「25万円」の誤りでした。「赤旗」編集上のミスによるものです。おわびして訂正します。

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