クローズアップ 常総水害訴訟 2022年2月結審 洪水なぜ 原因知りたい
2015年9月に発生した関東・東北豪雨。鬼怒川の堤防が決壊した茨城県常総市では、市内のおよそ3分の1にあたる約40平方キロメートルが浸水する甚大な被害が発生しました。被災者は、堤防の高さ不足を放置するなど国の河川管理の不備を訴え、損害賠償を求める裁判を水戸地裁でたたかっています。来年2月の結審を前に、被災者の思いを聞きました。
(茨城県・高橋誠一郎)
「初めは天災で仕方がないと思っていたが、徐々に人災ではないかとの思いに変わっていった。とにかく原因が知りたい」。そう語るのは、原告団で共同代表をつとめる片倉一美さん(68)です。
発災当時は会社員でした。出張で全国各地を飛行機で飛び回る日々。機内誌収集が趣味でした。「定年後にゆっくり読もうと大切にとっておいたが、水害で失われてしまった」。
自然堤防の役割を果たしていた若宮戸地区の砂丘林。国が河川法による河川区域に指定していなかったために民間事業者が掘削し、ソーラーパネルが並ぶ無堤防状態になりました。発災時、鬼怒川の水が流れ込んだ地点の一つがこの掘削現場でした。
片倉さんは、「水害直後の交渉で、国に『堤防がないと洪水になりませんか?』と聞いたが返事がなかった。洪水の事実は認めるが責任はないと言う。これでは国民の生命と財産は守れないと思った。あまりにも国民をばかにしている」と憤ります。
「生活を返して」
自宅が浸水し、大規模半壊になった女性(66)=常総市=は、現在娘と孫2人の4人で暮らします。
会社に勤めていた息子は災害関連死に認定されました。「水害前に亡くなった夫の写真と位牌を持って避難した。夫は写真を撮るのが大好きだったが、子どもたちが生まれた時からのアルバムなど、大事な物が何もかも水に浸かってしまった」といいます。
ペット同伴だったため災害公営住宅に入居できず、市外の戸建て住宅に1年間、9万円の家賃を払いながらの仮住まいを余儀なくされました。「水害がなければ家族そろって過ごせた。被災前の生活を返してほしい。悔しい」。
対策を3度要望
石川栄子さん(80)は当時、日本共産党の市議。自身も自宅が浸水に見舞われながら、被災者支援に奔走しました。
裁判の本人尋問では、市が国土交通省に若宮戸地区の掘削対策を3度要望していたと主張。現場は土のうを2段積んだのみで、水害発生は要望のわずか10か月後でした。「返す返すも残念で悔しいという思い。被災者みんなの思いを背負って裁判をたたかっていきたい」と話します。
18年8月に始まった裁判。当初は水戸地裁下妻支部(下妻市)で審理が行われていたものの、水戸本庁に移され、原告・支援者らはバスを仕立て、傍聴に参加してきました。コロナ禍による弁論の度重なる延期で進行も遅れましたが、ようやく結審にこぎ着けました。
「常総市水害・被害者の会」で共同代表世話人をつとめ、裁判の支援に関わってきた染谷修司さん(77)は、「結審の日は入りきれないくらいの人で傍聴席をいっぱいにしたい」と話しています。
(「しんぶん赤旗」2021年11月26日付より転載)