シリーズ自衛隊創設70年 茨城・百里基地 憲法9条の信念継承
航空自衛隊百里基地(茨城県小美玉市)には、地元農民が「自衛隊は憲法違反」、「戦争のために土地は売らない」と闘い続け、守り抜いている土地があります。今年2月、基地の中心部に位置する平和公園に、市民らが「百里・憲法九条の碑」を設置。「戦争も軍隊もない世界」を目指す拠点となっています。
赤い御影石の碑の表側には日本国憲法の前文と9条を、裏側には「自衛隊は憲法違反―百里農民の信念を引き継ぐ」と刻まれています。その奥をC130輸送機が横切ります。
生存権脅かす
「軍隊や基地そのものが平和的に生きる権利を脅かす。だから自衛隊は違憲なのです」。百里基地反対同盟の梅沢優さん(74)は強調します。
梅沢さんの父親は戦後、旧満州(現中国東北部)から命からがら引き揚げ、百里に開拓民として移住。麦やサツマイモなどを作りましたが、やせている土地では収穫量が増えず、出稼ぎもしました。畑仕事を手伝っていた梅沢さんは若いころ、耕運機で畑を耕すと、あちこちから機銃弾や爆弾の破片が。「これが当たれば死ぬ」と直感しました。
百里基地建設は、自衛隊創設2年後の1956年に持ち上がりました。激しい反対運動が起きましたが、防衛庁(当時)は高額の買収額で切り崩しを図り、多くの農民が応じました。
世界に平和を
梅沢さんは、「当時、翌年にまくはずの陸稲の種を食べるほど貧しかった。悪意で売った人は一人もいない」と振り返ります。高校卒業後から自衛隊の違憲性を問う「百里裁判」を傍聴し、基地撤去を訴え続けました。「軍隊は平和をもたらさない。この百里農民の信念を引き継ぎたい」。
「素直に憲法を読めば、自衛隊は違憲だ。逆さまに読んではいけない」。「百里・憲法九条の碑」の設置を呼びかけた、一般社団法人「百里の会」の伊達郷右衛門会長(83)は、憲法の前文と9条1項が大事だと語ります。「9条1項では『国際平和を誠実に希求するため』に戦争を放棄すると書き、前文では『全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有する』とある。日本の憲法は全世界の平和実現を訴えているのです」。
「住民敵対視」に変化
百里基地は首都圏で唯一、戦闘機部隊が配備され、3,300メートルの滑走路が2本ある「実戦基地」です。その滑走路と平行する誘導路は一部が「く」の字に曲がっています。百里農民たちが守った土地に整備された「百里平和公園」があるためです。
基地裏門からフェンスで囲まれた道を500メートルほど進むと公園が見えます。住民らが基地を監視する拠点にもなっています。その反対側の山には「自衛隊は憲法違反」と書かれた大看板が設置されています。コロナ禍前まで3年に1度、百里基地で行われていた航空観閲式では、訓示する首相の目前に「自衛隊は憲法違反」という看板が見えていました。
米軍と一体化し、“戦争できる部隊”に強化される自衛隊。百里基地の隣で70年以上暮らしてきた梅沢優さんは、「自衛隊の国民を見る目が敵対的に変わっている」と語ります。
「私たちは自衛隊員を悪いと思っておらず、友達もたくさんいました。以前は基地の管理部長が民家を一軒一軒回って夜中まで酒を飲むほど民主的な風が残っていました。しかし、イラク戦争のころから私服姿の隊員が基地周辺に駐車する車を見ながらメモし始め、最近は迷彩服を着て堂々とカメラで撮影します。住民を敵かのように監視するようになりました」。
訓練も激化しています。2022年ごろから日米共同訓練に加え、ドイツやカナダ、オーストラリア、インドなどとの共同訓練を相次いで実施。今月19日にもフランス空軍との共同訓練を行うなど、各国の戦闘機が東アジアに展開する拠点となっています。
9条に「自衛隊」を明記する改憲論にも危機感が広がります。伊達郷右衛門さんは、自衛隊が農民の土地を強制収用できなかったのは、日本国憲法の下で戦前の土地収用法が改正され、収用対象となる「公共の利益となる事業」から軍事・国防目的が削除されたからで、「私たちの運動は憲法を守ると同時に、憲法に守られた運動です」と指摘。「自衛隊が“軍隊”になれば公共性が認められ、土地収用でも何でもできるようになる。全国で相次ぐ自衛隊基地強化がより強硬に行われるのではないか」。
(「しんぶん赤旗」2024年7月6日付より転載。このシリーズは石橋さくら、斎藤和紀、竹下岳、田中智己が担当しました)