小学校の統廃合を考える 講演要旨(2012年8月)

小学校の統廃合を考える (2012年8月18日)

三輪定宣(千葉大学名誉教授)

 [1]取手市の統廃合計画
みなさんこんにちは、三輪です。
取手市では、2005年11月に「取手市小中学校適正規模適正配置審議会」が設置され、2008年2月に同答申が行われ、2008年4月には、茨城県が「公立小・中学校の適正規模について(指針)」が発表されました。
これをうけ2009年2月、取手市教育委員会「取手市立小中学校適正配置基本計画」(全17頁)が作成されました。
内容=背景は児童生徒数が減少(1982~2008年;小学校・13,768→5,279人、中学校・6,895→2,573人)し、「取手市における適正規模」は、「集団生活」と「多様な学習方法、活気ある学校行事や諸活動」のため(4校)、小中学校とも12学級以上(1学級30人前後)であること。
そのため学校統廃合により市内の26学校(小学校18、中学校8)のうち統廃合対象15校(小学校11、中学校4)から8校を廃校とし、7校(小学校5、中学校2)にする。廃校率30.8%です。
そのグループは、小学校 1.) 小文間・井野・吉田、 2.) 白山西・稲、 3.) 戸頭西・戸頭東、 4.) 山王・六郷、 5.) 藤代・久賀、
中学校 1.) 取手第一・取手東、 2.) 永山・野々井です。
実施計画は第1次(2009~2012年度)で中学校、第2次計画(2009~2016年度)に小学校。
推進の方法は地元説明会、地元代表協議会の設置、統合準備会の設置とされています。
2012年5月24日の市議会全員協議会での市教委から「第2次適正配置基本計画案」が説明されました。
小学校18を6校減らし12校とする。廃校対象校の児童数;小文間84、井野214、戸頭西217、白山西119、山王71、久賀247人。統合後;吉田593、戸頭東573、稲369、六郷228、藤代588人というものです。
(1) 学校統廃合は大自治体リストラである
統廃合により学校減6(11→5)、学級減41(246→205)、教員減推計56(309→251人:標準法の1学級当たり教員定数=1.21。41学級では50人。校長定数は学校当たり1人)、県費職員減推計12人(事務職員、栄養職員)、市費職員減18人(用務員、給食調理員等)の「測定単位」の削減が行われる。それに伴う経費削減額は学校減5,694万円、学級減3,813万円、県費教職員減6億7,760万円(教員5億5,720万円、職員1億1,940万円)、市費職員9,000万円(1人500万円平均)、市費削減1億8507万円(市の教育予算の5.5%)、県費削減6億7,760万円(うち3分の1は国負担)、総額で取手市に使われている教育費の削減額は約9億円に達します。
(注1)地方交付税の単位費用(2011年度);小学校=1学校当たり949万円、1学級当たり93万円、1教職員当たり995万円。
(注2)取手市2012年度一般会計予算325.7億円(教育費33.5億円、10.3%)
(2) 取手市の学校統廃合は小規模校、そこに通う子ども、保護者、教職員への配慮に欠ける
取手市(人口11万人、2012年8月)の学校統廃合計画では廃校率30.1%になります。
2008年以来4年にわたり小規模校を不安・動揺に陥れています。取手市より規模の大きい政令指定都市の例ですが、統合計画で廃校候補の割合は、仙台市17校(9%)、広島市5校(2%)などです。
仙台や広島では、小規模校存置のため、通学区域調整や「小規模校特認校」(「特別認定方式」)という通学区域制限を外し、どの校区からでも就学できる国の認定制度などを取り入れています。学校統廃合の子どもへの心理的影響を見逃さないでください。
千葉市の千城台地域では小学校5校を3校にする計画が進行しています。「千城台教育を考える会」では、学校統廃合アンケートを行い、その結果が2012年1月21日の報告会で発表されました。
内訳は、1.) 「統合してもやむをえない」22.5%、「現状のままがよい」76.6%。2.) 統合で、いじめ、不登校、学級崩壊など「改善される」8%、3.) 通学距離や登下校の安全は「現状のままでよい」33%、「学校がなくなると困る」42%、計75%、4.) 街づくり・コミュニティづくりに学校が「必要と思う」88%、5.) 財政赤字のための統合に「子どもの犠牲は不適切」82%でした。
千葉市の学校統廃合の廃校予定地区の小学校4年生の女子は、購読している『朝日小学生新聞』(2009年1月7日付)の「ちょうどいい学校の規模って」という一面の記事を読み、そこに私の談話「100人くらいの小さな学校が理想」に注目し、「先生、これ読んで」と新聞を担任の教師に手渡しました。
同学年の男子児童は、私の講演会のビラを見て、「俺もこの集会にいきたい」といいだし、なだめられると、「じゃあ市長さんに学校なくさないでって、ちゃんと伝えてね」と家族に念を押し、帰宅すると、「学校守れた」と尋ねています。
廃校予定学校名を公開された子ども達は、この例のように、不安、不信、動揺を小さな胸に秘めながらの登校を余儀なくされます。
子ども・住民に対する行政のいじめにも等しい非情な学校統廃合に対する大人の毅然たる取り組みが求められます。
[2]いじめと学校統廃合
(1) 大津市中学生いじめ自殺事件といじめの現状
千城台地区の学校統廃合学習会(2012年7月21日)では、教育委員会の説明会などでしばしば繰り返される学校統合の論点で「クラスを複数にすることでいじめはなくなるのか」という疑問について私(三輪)の考えを聞きたいとの要望が伝えられました。
最近の大津市中学生いじめ自殺事件への関心が背景にあります。取手市でも共通の問題だと思います。
大津市A中学校(生徒数約860人のマンモス学校)で、2年生(当時13歳)のA君が、2011年10月11日、自宅マンション14階から転落死しました。
直前の9月29日、体育祭で生徒3人から口に粘着テープを貼られ、手足を縛られるなど暴行を受け続けた「いじめによる自殺」とも推定されています(現在、実態調査、捜査、裁判が進行中)。
一般にいじめの実態はどうか。文科省・2010年度問題行動調査(2012年2月6日)の統計数値は「いじめの認知数」であり、実際の数とズレがあります。
「いじめ」の定義は、「心理的物理的な攻撃を受けたことにより精神的な苦痛を感じているもの」(2007年以降)とされています。調査では年間の児童生徒「1000人当たり認知数」は小学校5.3件、中学校9.3件、高校7.1件です。
この数値から小学校200人規模なら1件、少人数学校ほど少なく、100人以下ならほとんど起こっていません。大規模校ほど頻発するとも読み取れます。
小学校では4年生から急に増えだし、中学1年生で飛躍的に増え、以下、減少します。「中1プロブレム」の証といえます。
いじめ発見のきっかけは、学校51.6%、本人23.0%、保護者16.6%であり、いじめの態様は、「冷やかし」等66.8%、「仲間外れ」等20.8%、「軽くぶつ」等20.2%、「金品を隠す」等7.5%、「いやなことをいう」等6.8%、「叩く」等6.3%、「金品をたかる」等2.3%であり、このデータに関する限り深刻ないじめは比較的少ない状況です。
国立教育政策研究所調査(中1対象)によれば、一般にいじめはちょっとしたきっかけで起き広がり、いじめられる・いじめる関係が短期間で入れ替わり、要因、背景の特定は困難とされます。
悪口や陰口が3年間全く無かった子は小学校で2割であり、その経験者が8割にのぼり、どの子も多かれ少なかれいじめを体験していることになります。
いじめは暴力系とコミュニケーション操作(悪口、誹謗中傷など)に分類され、その原因として、モラルの低下、偏見・差別による排除、閉鎖的集団、特定個人への暴行・恐喝、ストレスの鬱積、人間関係の希薄化、発達障害との関係などが指摘されています。
近年では「ネット上のいじめ」が急浮上し、文科省もマニュアルを作成しました(2008年)。
いじめ自殺問題は、中野区富士見中事件(1986年、当時、生徒数約900人、「葬式ごっこ」などの「生き地獄」を訴える遺書遺す)、西尾市大河内君事件(1994年)で社会問題化し、文科省も通知を発表し、「いじめはどの子にも起こり得る」(1996年~)とし、「いじめは人間として絶対に許されない」との立場から指導方針を示しました。
自殺130人中いじめが原因は3件(2007年度)とされ、極く稀ですが、それだけに衝撃は大きいです。
最近、いじめと発達障害との関係も注目されており、シカゴ大学のfMRI検査によれば、普通の子は他人の苦痛に同じ脳領域が反応しますが、いじめっ子では扁桃体・腹側線条体という報酬や喜びの中枢の部分が反応し、人の苦痛を好み、自己抑制に欠けるといいます。
いじめ加害の脳障害説です。
また、発達障害の無理解もいじめの原因になっています。その割合は文科省調査で6.3%にのぼります。
精神疾患と脳の異常の関係が解明されつつあり、例えば、自閉症では、顔や視線の認識、社会的知能に関係する部位の異常、シナプスと関連遺伝子異常などが、また、注意欠陥・多動性障害(ADHD)では、前頭葉のワーキングメモリーの異常などです。
子どもどうしのトラブルは、子どもの発達の未熟による一過的・流動的なものですが、深刻ないじめを受けた子は生涯癒えない心の傷を負います。
「子どもは社会の鏡」であり、家庭や学校のほか、社会の問題ーモラルの低下、人権軽視、競争主義、過剰ストレス、孤独・無縁化、精神疾患の無理解などを反映し、いじめはその縮図でもあります。
それに加え、一般に日本の学校は、教育制度の欠陥から「個人の尊厳」(教育基本法)という子ども一人ひとりが人間として大切にされる教育原理が無視され、管理主義、競争主義、画一主義、過密学級・学校、教職員の多忙・過労などの傾向が強く、子どもの人権意識の麻痺、ストレス、いじめの温床となり、それが社会のいじめの構造を再生産しています。「クラスを複数にすることで(学校規模を大きくすることで)いじめはなくなる」などという単純な問題ではありません。
(2) いじめと学校規模
諸データが立証するように、むしろ教育の困難は大規模学校ほど増大するのであり、社会の荒波に抗し、学校は子どもを守る砦として、子ども一人ひとりの人格、人間らしい連帯や優しさ、地域の暖かい支援などが大切にされなければなりません。それは「小さな学校」ほど恵まれています。
「小さなクラス」「小さな学校」では、いじめが起こりにくく、起こってもすぐ気づき、すぐみんなで適切に対応できます。先の文科省データもそれを傍証しています。「個人空間」(パーソナル・スペース、personal space、5平方メートル)が確保され、過密によるストレスがありません。
教育は「人間をつくる」という社会の根本的いとなみであり、学校はその一大拠点です。「人間をつくる」とは「人間の本質(本性)」にふさわしく、人間らしく育てることであり、一般に「人間の本質」とは共同性といわれます。
人類学の知見によれば、それは、数百万年の人類史のなかで150人程度以下の共同生活(主に狩猟採集生活、人類史の99.9%以上の期間)で形成されたすぐれた性質、進化の遺産ー助け合い、思いやり、優しさ、良心、理性などとされます。
「人間的規模」(ヒューマン・スケール、human scale)が、人間らしさを育む。人間が育つには、学校でも家庭・家族、地域社会などのような長い期間にわたる親密な継続的安定的な異年齢の人間関係の維持が不可欠であり、その過程でのさまざまな生きた経験が「人間をつくる」。そのために、学校ではクラス替えがなく、クラス担任が替わらず、みんながよく知り合い、地域の人々との交流が深まる「小さな学校」が理想であり、諸外国ではそれが普通です。
「クラス替え」をしない習慣は日本でも根付いています。例えば、千葉大学教育学部付属中学校では3年間、クラス替えをしません。
小学生の父親になった卒業生が、東京都足立区の本木東小学校廃止に反対する集会で、クラス替えをしないことの良さを熱心に説いていた姿が印象に残っています。
なお、中高の部活動は正規のカリキュラムではなく、その要求は別途、在学青少年の社会教育活動として地域で公的に十分に保障されるべきです(諸外国ではそれが普通)。
[3]教育と学校規模の国際比較
教育をよくすることはみんなの願いです。しかし、学校統廃合は万能ではありません。教育改善に何が必要か。世界の教育と学校規模に注目してみました。
(1) 諸外国の教育と学校規模
1.) ドイツ
6月上旬まで約10日間、ドイツに出張し教育の実情について見聞しました。ドイツ人と結婚して在住25年の日本人の母親(57歳)は、二人の娘さん(大学院生と学部4年生)を育てた体験を語ってくれました。
ドイツでは子ども一人ひとりに向き合い、意見表明、自己主張を大事にし、学力だけでは評価されません。そのため、小中高校の学級規模は、現在20人程度だが、現場では10人以下を強く要求しており、「人間の価値は人数が多くなるほど下がる」という思想の現れだといいます(小・中学校の平均学校規模は200人程度)。
大学の学費は無償、給付制奨学金が支給され(親と別居なら生活費支給)、交通費、旅費、観覧料等は学生割引で安く利用できます。「教育を受ける権利が紙に書いてある国とそれを実現している国との違いです」と語っていました。
また、学校教育ばかりでなく、ベルリン市の中心部に広大なユダヤ人墓地や虐殺のパネル・博物館を置くなど、各地にナチズムの悲劇を風化させない活動やモニュメントが目につきます。
戦前、教師も約3割がナチス党に加入するなど、共産党弾圧、ユダヤ虐殺、侵略戦争などに加担した反省、悔恨が今も続いているようです。
ドイツは、2011年3月11日、東日本大震災・福島原発事故後、直ちに脱原発に舵を切りましたが、この国を南北に縦断してみると、道路沿いに風車が林立し、ソーラーパネルが屋根や畑に張り巡らされ、夜間コンビニ、ビニールハウス、自動販売機などは見当たらず、5時頃には店を閉め、家族で夕食を楽しみ、電気もムダにしないなどのライフスタイルの実態に触れ、脱原発の基盤がすでに熟しているとを実感しました。
2.) デンマーク
千葉忠夫・日欧文化交流学院学院長(デンマークに40年在住)『格差と貧困のないデンマーク 世界一幸福な国の人づくり』(2011年3月)の一部を紹介します。
「相対的貧困率」(2008年);デンマークは5.3%(最下位)、日本は14.9%(世界3位)です。世界の情報通信技術(ICT)整備度ランキング;デンマークは1位、日本は14位。
国内総生産(GDP)に対する学校教育費の比率;デンマークは6.7%(2位)、日本は3.3%(最下位から2位)、1学級当たり児童生徒数;小学校19.5人、中学校19.7人。日本は、各28.4人、33.5人です。平均学校規模148人。
小学校も教科担任制。「国民学校を卒業する9年生まで試験がない。(テストは知識の確認のため行うが優劣をつけない。9年生の試験は口述試験が主。問題は自分が選ぶ)、「教育の義務期間中は他人と競い合うことを教えません。」
「1年から6年までほとんどクラス替えはないため、同じ担任で進級します。」「教師の学校間の移動はありません。」「優秀な教師とは落ちこぼれをつくらない教師です。落ちこぼれとは、(勉強の遅れのほか)登校拒否をするような子のことです。」
「社会的に弱い立場にある人をみんなで保障していく、支援する、それが社会福祉国家の根本だからです。」「デンマークの教育の中では、『学び方を学ぶ』ことを大切にしています。」
学校運営委員会には親、教職員、生徒の代表がなり、教科書、予算などを決める。「学習塾や予備校はデンマークにはありません。」「デンマークでは18歳で成人となり、経済的に独立しますから、親から支援は受けません。入学金、授業料は無料なので問題ありませんが、教材費や生活費は国からの奨学金を活用する人がほとんどです。」
SU(生活援助金)は「親と同居の場合は月額2677クローネ(約5万3540円)、別居の場合は5384クローネ(約10万7680円)支給されます。」「デンマークでは失業保険をもらいながら、誰でも新たな勉強を始められます。それは教育費が無料だからです。」「失業保険は4年間は失業前給料の90%」です。
欧米では、一般に1学年1学級でクラス替えがなく、担任教師も持ち上がりが基本です。教師は公立学校でも同一校に定年まで務め、子どもや家庭の環境を熟知しています。
「学校評議会」に生徒・教職員・保護者・市民などの代表が参加し、要求が学校運営に正式に反映されます。
3.) オランダ
2010年1月13日、NHK教育テレビ「子どもはなぜ幸福度世界一か」で、NO.1のオランダの子どもについて放映しました。
オランダの子どもが世界一「しあわせ」と感じる理由は、学校では、1.) 行き届いた条件・環境(例えば、クラスでは20人以下の子どもが4~5台のテーブルに4人ずつ対面で座って勉強している)、2.) 子どもの自由・自律の尊重(小学生でも1週間単位で自分の考えたメニューで教科を選び、好きなことが勉強できる。休憩、教室を出ることも自由、宿題がない)、3.) 子どもどうしの学び合い・教え合い、4.) 受験競争・塾からの解放、などです。
家庭では、家族との団らんの時間がたっぷりあり、親子がよくわかりあえる。週2回家族そろっての夕食は90%で2位(1位・イタリア)、両親が6時には帰宅できるワークシェアリングなどがそれを社会的に支えています。
4.) フィンランド
OECD(経済協力開発機構、30ヶ国加盟)の国際学力テスト(PISA=国際学習到達度調査、65ヶ国・地域、15歳対象。2009年12月7日、2009年実施の第4回結果発表)でフィンランドの4回(12年間)の成績順位は、科学2/2/1/2位、数学4/2/2/6位、読解力1/1/2/3位です。
同国の学校規模は初等101人、中学校と高校は併設で100~200人程度、学級規模は25人程度以下(実態は教員1人の子ども数15.8人[小学校]、10.6人[中学校])、小規模の学校・学級で協同学習(ともに学び合う学習)が行われています。
OECDのめざす学力(リテラシー)は、知識の単なる記憶量ではなく、その応用力、思考力、問題解決能力など21世紀社会に求められる知的能力で、少人数の協同学習が有効であり、国際学会でも立証されています。
ちなみに、日本は科学2/2/6/5位、数学1/6/10/9位、読解力8/14/15/8位であり、フィンランドよりかなり差があります。
5.) キューバ
ユネスコが、フィンランドとともに推奨するカリブの教育大国、キューバでも同様です。国際テスト(数学)の学力は、ラテンアメリカ諸国平均50点としてキューバ90点、少人数学級(小学校20人、中学校15人以下)、小規模学校で協同学習がおこなわれ、教師の給料は医師並です。
教育学(理論)の世界の流れは、1.) 教師・教授中心から子ども・学習中心へ、2.) 子ども一般から子ども一人ひとりの個別性へ、3.) 一斉・競争授業から対話・共同学習へ、変化しています。
その基本的条件として少人数学級・学校が重視されています。
(2) 子どもの幸福度と学校規模
1.) ユニセフ・世界子どもの幸福度調査と国連・子どもの権利委員会勧告
ユニセフ『豊かな国の子どもの幸福の概観』(全52頁、2007年2月)、「子どもへの配慮が国の状態の真の尺度」との観点からの調査であり、対象はOECD加盟国30ヶ国と非加盟国8ヶ国、回答は15才(高校1年)。
「最も衝撃的な結果は、日本の若者の30%が『私は孤独である』(I feel lonely)と感じていることであり、第2位の国の約3倍に達している」(分析責任者の見解、2位/アイスランド10.3%、平均7.4%、日本29.8%)。
ほかに「将来なりたいこと」(aspirations)は「非熟練労働」(to low skilled work)に「はい」がOECD27.5%、日本50.3%、などが際立つ。
幸福度の上位は順に上述のオランダ、スウェーデン、デンマーク、フィンランドなど北欧が多く、下位はワースト1のイギリス、同2位のアメリカなど競争教育の激しい新自由主義国家群であり、日本は回答数不足で順位不明です。
幸福の原点は人間の本質=「共同性」(思いやり、助け合い、連帯)であり、「孤独」はその対極の「不幸度」の象徴としてユニセフが注目するのであろうと思います。
国連・子どもの権利委員会見解(2010年6月)によれば、日本の子どものは「情緒面での健康状態が低い」「教師との関係の貧しさ」などが目立ちます。その原因である「極端に競争的な環境」を回避するため「学校及び教育制度を見直すこと」を勧告しています。
2.) WHO(世界保健機構)の学校規模論
国連機関、WHO(世界保健機構)、諸調査研究を集約し、学校規模100人以下を勧告しています。
「近年、子供の教育機関を組織する際に従うべき原則に関して、有識者による実に多くの著書および報告書が発表されているので、ここに改めて議論する必要はあるまい。それらはすべて、大規模な機関においては回避することのできない規則および規制を回避するためには、教育機関は小さくなくてならない -カーティス報告が提案した生徒百人を上回らない規模- という点で意見が一致している。
非人格的な規則ではなく、人間的な関係に基づいたインフォーマルで個性的な教育は、こうした条件のもとで初めて可能になる…  [教育機関の内部の]集団(学級など:引用者註)の規模に関しても意見の相違はまったくなく、小さい規模を保たなければならないという考えで完全に一致している。」(カークパトリック・セール、深里文彦訳『ヒューマン・スケール』講談社、1987年)
3.) 各国の学校規模
外国の学校規模の実態は、国平均で初等学校で100~200人程度(1学年1学級でクラス替えがない)が一般的である。就学期間は6年が普通、その前後もあり、一概に比較できないが、以下の通りです。
出典;『ユネスコ文化統計年鑑』(1999年、原書房)。
1999年以来、同著の翻訳は刊行されていないが、現在も大差はないと思います。
例;アメリカ461人、日本322人、オーストラリア228人、中国223人、カナダ192人、イギリス190人、ブラジル174人、メキシコ152人、デンマーク148人、イタリア140人、オーストリア103人、フィンランド101人、フランス99人 など。
アメリカでは、学校統廃合で学校規模が拡大し、「学校内学校」(inner school、校舎ごとにみんなが知り合える運営)や「チャータースクール」(charter school 特許学校、全米約3,000、少人数)などの学校改革で対応しています。デボラ・マイヤー(高校長)『学校を変える力』(岩波書店)は、生徒の発達には学校規模を小さくする必要があるとし、その理由として、教師間の対話、共同、個別指導、生徒の安心感、透明な運営、生徒との交流の6点をあげています。
4.) 学校・学級規模と教育効果に関する諸データ
コールマン報告
アメリカの教育学者ジェームス・コールマンらが1966年にまとめた有名な報告『教育機会の均等性』(コールマン報告)は、アメリカ連邦政府の64万5000人の生徒を対象に実施した大規模な教育実態調査であり、学習成果を決定する主要な要因は、カリキュラムや教師の質以上に生徒と学校の一体感であると結論づけ、それを育んできた小さな学校の利点を評価している。
小さな学校では、子どもの学校への帰属意識、愛着がつよくなり、学習への態度も積極的になるといいます。
グラス・スミス曲線
学級規模と教育効果に関する研究では、アメリカでは実態が平均23人程度なので、それ以下の18人以下への改善が研究の焦点となっており、研究の大勢は10人台にさらに縮小したほうが学力向上に効果がある、という方向です。
有名な「グラス・スミス曲線」といわれるコロラド大学のグラス・スミス両教授の研究では、1クラス25人位、特に15人くらいから学力が急速にあがり、学習態度・意欲や人格形成に有意義であることを、過去50年間約300の論文を「メタ分析」という方法で検証し、簡単な曲線の公式で表現しました。
[4]学校統廃合の問題点
(1) 学校統廃合をめぐる状況の変化
1.) 少人数学級の実施
文科省は2011年度概算要求に少人数学級計画(2011~16年度に40→35人学級、17年度~35→30人学級)を盛り込み、国は「30人学級」方針を明らかにしました(2011年度、小1の35人学級スタート)。
2.) 国の「適正規模」基準制定作業の中止
文科省・中教審は、財務省の方針を受け、1年ほど専門家グループで学校の「適正規模」基準を検討したが、「教育的観点」からの基準づくりは困難としてその研究を中止しました。
○2007年11月、財政制度等審議会の2008年度予算建議;「学校の最適化」で「コストも約3割」効率化。教育機関に対する公財政支出の対GDP比(2008年)はOECD平均5.0%、日本3.3%でデータ掲載31ヶ国で最低、そのさらなる削減が財務省のねらい。
○同年12月、政府の「教育再生会議」第3次報告;「学校の適正配置を進め、教育効果を高める」。
○2008年6月、「骨太の方針2008年」;「教育的観点からの学校の適正配置」
○同月、中央教育審議会(中教審)、「教育的観点」からの学校統廃合の基準つくり検討開始。
しかし、予定の12月中間報告、2009年3月報告なく、4月から審議中断し8月答申なし。09年8月総選挙への影響回避のためか。
08年12月「論点例」(全10頁)は方向不明。専門部会の主査、委員も消極的(主査;小川正人放送大学教授[現中教審副会長、前東大教授、専攻・教育行政学])。
2009年8月総選挙による政権交代後、全く動きなし。
3.) 統廃合の背景の変化
学校統廃の背景である少子化、自治体合併、地方交付税削減、行政改革なども2007年時点より変化しています。少子化はV字回復の兆候です(出生率;2005年1.26~2009年1.37、2010年1.39)。
「平成の大合併」(2001~2005年度)で市町村数3,227から1,821に急減しましたがその後下げ止まり、「構造改革」で2000~05年度に地方交付税は23%急減しましたが、08年度以降増加に転じています。
「行政改革推進法」(2007~10年度。地方公務員6万人、4.6%以上削減目標)も期限切れとなりました。
4.) 学校耐震化期間の短縮
2011年3月11日の東日本大震災を契機に、文科省は学校耐震化予算を2012年度に1,500校分1,246億円計上し、耐震指標「Is値」0.6未満(震度6以上で倒壊の危険性)84.8%(2012年4月、茨城県70.5%、全国45位)を90%に引き上げる目標を設定しました。
学校統廃合計画による廃校予定校の耐震化の遅滞は許されない状況です。
(2) 国の「適正規模」基準―「適正神話」の問題点
国の学校「適正規模」基準は、予算補助の目安であり、教育的な基準を意味せず、現行の学校設置基準も規模を重視していません。学校規模の実態は基準外が8割であり、基準に教育的道理がないことを示しています。
○1947年5月、学校教育法施行規則41条;「標準規模」12~18学級、「ただし、地域の実態その他により特別の事情のあるときは、この限りでない。」 戦後6.3制発足時の新設学校の目標であり、例外を前提とし、それに従う道理も義務もありません。
○2007年12月、小中学校設置基準;学級規模、校舎、運動場、設置施設の基準を規定しているが、学校規模の基準を規定していません。「適正規模」論を金科玉条とし、それを最優先する方針は、この点でも虚偽、空論です。
○1958年4月、義務教育諸学校施設費国庫負担法施行令4条=国が公立小中学校を「適正な規模」に統合する場合に建築費の2分の1(改築なら3分の1)を負担し、その「適正な規模の条件」はおおむね12~18学級(小規模校の吸収統合のときに限り24学級)、通学距離は小学校4㎞以内、中学校6㎞以内。過疎地域等でその後3分の2に嵩上げ。
国の学校「適正規模」基準は、統合のための補助金支出・誘導基準であり、教育的観点の基準ではありません。12~24学級まで学校統廃合をしたら補助金を有利にするという財政誘導基準であり、広域化による農村・農業切り捨て・財政効率をめざした「昭和の大合併」(1953~55年、町村3年間で約1万から3千台へ急減)、大規模町村合併に合わせた学校統廃合基準でした。
その基準は「適正な規模」と表現されていますが、あくまでも補助金の支出基準であり、教育的に適正という意味ではなく、建築基準などと異なります。
自治体・施設の統廃合で地方交付税の測定単位(学校、学級、教職員など)が減れば、国の経費が大幅に削減できます。
通学距離の適正基準値=
農村部:小学校 1km 15分以下、中学校 2km 30分以下
都市部:小学校 0.5km 10分以下、中学校 1km 15分以下
(文部省、学校施設規準規格調査会、1963年)
○公立学校規模の実態(2009年度、文科省統計);国の統合の「適正規模」12~18学級の基準内の学校は、全国で3分の1以下の29.0%にとどまり、11学級以下が48.3%、19学級以上が22.7%を占める。7割の学校が「適正規模」の範囲外にあり、基準は実態に合わない無理、非常識なものであることは明らかです。
○東京都特別区長会は、1984年、「行政改革」のため11学級300人以下の学校を廃校とし、各区が学校統廃合をすすめたが、約30年後の現在、11学級以下の学校は小学校だけで334校(25.4%)を数える。住民の統廃合反対で多くの計画が阻止されています(三輪の学習会参加;千代田区、中央区、文京区、港区、品川区、大田区、豊島区、世田谷区、荒川区、台東区、江東区、足立区、北区、目黒区、町田市、立川市、東久留米市など)。
(3) 学校統廃合政策の反省、“Uターン通達”
国の学校統廃合政策は、1973年9月の学校統廃合の“Uターン通達”(「公立小中学校の統合について(通達)」)で方向転換しました。その原則は以下の通りです。
1.) 無理な学校統廃合禁止と住民合意=「学校規模を重視するあまり無理な学校統合を行い、地域住民等との間に紛争を生じたり、通学上著しい困難を招いたりすることは避けなければならない。」
2.) 小規模校の尊重=「小規模学校には教職員と児童・生徒との人間的ふれあいや個別指導の面で小規模校としての教育上の利点も考えられるので、総合的に判断した場合、なお小規模校として存置し充実するほうが好ましい場合もある」
3.) 学校の地域的意義=「学校統合を計画する場合には、学校のもつ地域的意義等をも考えて、十分に地域住民の理解と協力を得て行うよう努めること。」
「平成の大合併」向け全国都道府県教育長協議会『教育委員会のための市町村合併マニュアル(改訂版)』(平成17年8月)の「学校の統合」の項もこの方針を確認しています。
Uターン通達は、1956年の学校統廃合推進通達以来、約20年の試行錯誤とそれに反対する住民運動等を背景に出され、重要な教訓や原則が含まれています。
高知県の国会議員(日本共産党・山原健二郎)への国会での文部大臣(奥野誠亮)答弁の具体化(日本共産党文教委員会責任者・藤森毅「学校統廃合をどう見るか-日本共産党の立場」、三輪「統廃合政策の動向と教育・地域の諸問題」『住民と自治』2008年9月号)。
*当時、三輪、高知大学勤務(1972~81年)、高知県国民教育研究所長、『子どもの学習権と学校統廃合』(国民教育研究所編、1973年9月)、「学校統廃合問題の研究」『高知大学教育学部研究報告』27号(1974年9月)など出版し、データ・情報を同議員にも提供。
(4) 行政手続の公平性と透明性
学校統廃合推進の行政指導は住民の賛成と協力が必要、前提であり、「方針」などを理由に強要できません。
行政手続法(1994年度施行)は、「行政運営における公平性の確保と透明性の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資する」(1条)との観点から、「行政指導の内容があくまでも相手の任意の協力によってのみ実現されることに留意」(32条)し、「当該権限を行使しうる旨を殊更に示すことによって相手方に当該行政指導に従うことを余儀なくさせるようなことをしてはならない。」(34条)と規定しています。
(5) 教育政策決定の国際ルール違反
国際社会に共通の教育政策決定の原則、ルールは、行政当局と関係団体との完全な協議・合意である。欧米では保護者、生徒、教職員等の代表からなる学校評議会が学校政策を決定します。
「教師の役割と地位に関する勧告」(1996年)は、「教員および教員団体との、並びに、家庭、保護者団体、企業、雇用者、労働団体、メディア、倫理的・精神的な権威ある機関、学界などの教育の変革における他の担い手との、協議、調整及び対話を通じて、教育の目標と変革の方向性を明確にすること。このような協議や調整は、教育のプロジェクト又は改革の実施段階に限定されるべきではなく、その計画策定、着手、追跡調査および評価にも関与すべきである。」と規定しています。
(6) 生徒の意見表明権の無視
条約によれば、当局は当事者の子どもの意見に拘束されます。児童の権利に関する条約(1989年)は、「児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。」(12条)と規定している。学校の生徒参加は国際的趨勢です。
(7) 学級規模に関する教師の意見
アンケート調査
日本教育学会の学級規模に関するプロジェクト・チーム(文部科学省の科学研究費による調査研究、約30名、3年間の継続研究、三輪は理事として参加、桑原敏明『学級編成に関する総合的研究』多賀出版、2002年2月)の調査。
現場教員のアンケート。
(例) 1.) 肯定の答えをした校長の割合(%);
小学校(中学校)
200人程度以下、550人程度以上
「学校不適応の子どもが目立つ」
8.6(46.8)、29.2(73.5)
「いじめや不登校に頭を悩ませている」
16.1 (46.2)、36.1(72.2)
2.) 国立教育政策研究所調査(2000年10月);
「困難」と答えた校長の割合(%)
小学校(中学校)
1~5学級、12~17学級
「全員の名前を覚えること」
2.1(5.5) 、86.6(88.7)
「趣味・交友関係の把握」
18.8(30.6)、91.8(92.9)
「家庭環境の把握」
16.7(25.7)、87.1(83.0)
「物の見方、考え方の把握」
27.1(46.3)、94.0(90.1)
3.) 国民教育研究所の現場教師のアンケート調査;「子どもの顔と名前が一致するかどうか」
=5~7学級で小学校66.7%、中学校84.2%、11学級以上で各21.8%、32.5%(国民教育研究所『民研教育時報』8・9号、1984年1月。三輪参加)
現場教師(教員組合)の学校規模論
1.) 民主教育研究所『人間と教育』61号(2009年春号)は、特集「学校の格差的再編と統廃合」で学校統廃合に取り組んだ現場の先生の論文を掲載し、総括論文の中村尚史(全日本教職員組合執行委員、大阪の社会科教師)「学級規模・学校規模をどう考えるか」は、「教育が人格的ふれあいの中で営まれることを考えれば、理想的なのは一人ひとりの教職員が子どもや教職員全員を把握できる人数を上限とする。下限を設けない。」との方針を示しています。現場教師の代表的意見です。
2.) 全教発行『クレスコ』2011年12月号の山本由美論文「学校・学級の『適正規模』とはなにか」の結論部分で「小学校で学年15名程度、全校90人程度…こそ、まさに『適正規模』」とのべています。
山本氏は和光大学教授、教育行政学専攻、「2011年教育のつどいin千葉」で学校統廃合を論じた「学校づくり」分科会の共同研究者。
3.) 日高教「無償化にふさわしい新たな高校教育政策への日高教の提言」(2012年3月)、14章「生徒と向き合うことのできる地域の小さな学校づくりと教職員の定数改善を」=「1.青年期の発達の視点から小規模学級・学校を」「4.高校の小規模化が可能に」(標準法5条改正により公立高等学校の生徒の収容定員の基準廃止)、「5.小規模校の実践の蓄積が全国にあります」「6.小規模校には『学校を変える力』があります」(デボラ・マイヤー『学校を変える力』(岩波書店)、生徒の発達には学校規模を小さくする必要があるとし、理由を6点あげる。前掲)。
おわりに
学校統廃合は、小中学校の教職員人件費削減にきわめて有効であるが、同じ経費削減をねらって高校でも強引に進められています。
東日本大震災・福島原発事故に露呈した「文明の暴走」を制御する「教育の力」の形成が、人類存亡の課題に浮上しています。子どもを守り育てる地域の教育力を蓄える学校の存続は、そのような責任の遂行のために不可欠の条件だと思います。