2011年05月

東日本大震災

災害ボランティア

 

震災ボランティアに参加した民青同盟員の増井さんからの寄稿がありました。

震災ボランティアに参加して     日本民主青年同盟ひたち班 増井 里依子

 北部青年ボランティアには、述べ9人・4台の車で参加し、5月1日(日)・〜3日(水)、岩手県陸前高田市広田町に行き2日と3日の2日間作業をしました。参加したメンバーは、それぞれ海岸のガレキの撤去・側溝の泥さらい・避難所の広田小学校で炊き出し・民家の流木の撤去などの活動をしました。

 被災地の方の前向きな表情に逆に強さを頂いて

 作業初日の2日(月)の朝食の炊き出し当番を、栄養士のHさんと元調理師のMくんが担当しました。
その後、一関市の全国青年ボランティアセンターから、陸前高田市広田町に向かい、テレビでもみた広がる惨状を目の当たりにし、Aくんは、「低い市街地は、壊滅状態でほとんどは水没しているか、更地で、リアス式海岸なので、高い農村部は無事で、倒壊した場所と無傷な場所が、はっきりしているのに驚きました」と言っています。
 Hさんは、避難所となっている広田小学校で炊き出しをし、被災した人と直接話しをし、「直接うかがう事で、被災状況や心境、将来への希望などは、個人や家庭ごとに千差万別で、生身の人間がいると実感。参加当初は、何ができるのか無力感があったけど、避難所の人や、地元の人に感謝され、これでよかったんだと思えた」と話します。広田小学校の近くの側溝のドロをとる作業をしていた、Mくんは、昼休みに小学校の子どもたちと遊び、着ていた作業服に次々と落書きをされ、子どもたちのパワーに圧倒され、元気をもらいました。Mくんは、「一緒に作業した被災地の方の『なんとかしよう、ここからだ!』と復興に向けた前向きの表情を見せて頂いた事で、逆に強さを頂き、作業する事ができた」そうです。

 まるで神様のようだ

 作業2日目の3日(水)は、ボランティアセンターの事務局の人から津波で敷地内に流木が入り困っているお宅があると聞き、Yくんが茨城からチェンソーを持って3日の朝かけつけ裁断し、流木をみんなで運び出し撤去しました。Yくんは、「お宅の方に、“この青年ボランティアは、まるで神様のようだ”と感激され、神様は過言だと戸惑いましたが、助けになれた事、喜んでもらえた事で、今回参加して、ほんとうによかった」と思いました。
 海岸のガレキの撤去では、Tくんは「大野海岸は日本画風のような景色で、海岸が見違える程きれいになった事と、地元の人と交流できただけで、ボランティア活動をした意義を実感し、みんなで力を合わせて大木を運び、一体感が生まれた」と言います

 多くの善心ある人たちと出会い

 Eくんは、「肉体労働がメインでしたが、少しでも復興の役にたとうと、ひたすら作業をしていたように思います」と、Nくんは、「被災地の惨状を忘れさせるくらいの作業量があり、ただ黙々と作業をこなすのが精一杯という印象。それでも被災地の方々には明るいエネルギーを感じた。」と活動を振り返ります。Dくんは、ボランティアセンターで一緒に活動した人たちとの出会いを「こんなにも多くの善心ある人たち、世代・性別関係なくどこか根っこの部分が繋がっているってフィーリングが感じられた」と言っています。
 私は、入り江で作業をしました。「流木が再び浮かぶと船が進めなくなるから助かった」と地元の人から言ってもらい、疲労が吹っ飛びました。
 見渡す限り、ガレキの中にも、新しい電柱があったり、1日1日少しずつ復興しています。地元の人の前向きな姿もありました。しかし、復興にはまだまだ時間がかかります。今後もやれる事をしていきたいと思います。

 

陸前高田市で民青同盟災害ボランティアに青年6人と党南部地区委員長が参加

 5月3日から5日の連休に、上野高志党南部地区委員長と青年6人が陸前高田市に民青同盟災害ボランティアとして参加しました。参加者からメールが党県委員会に届きましたので紹介します。
 3日〜5日の連休に、ワゴン車に7人が乗って、民青同盟災害ボランティアセンターに救援ボランティアとして参加しました。3日は移動日。地震で50キロ速度制限の東北道で移動しました。渋滞もあり、夕方5時にセンターに到着。さっそくハヤシライスの夕飯を食べ、7時からのミーティングに参加しました。

片づけをやらせていただきました 

 ミーティングでは10ヵ所にわかれたグループごとに発言。青森から参加した青年は、「陸前高田の瓦礫の道路は、すべての電柱が津波で流され、そこに2011年4月1日と書かれた新しい電柱が立っていました。復興は着実にすすんでいるんだなと胸が熱くなりました」と発言しました。
 また、岩手から参加した民主商工会に勤務している青年は、「今日は陸前高田の民商の会員さんに会ってきました。最近になっても多いときは50もの遺体があがる。浜辺で毎日焼いていると衝撃的な話を聞きました、でも、みんな悲しみを乗り越えてがんばっていることも感じました」と涙で声をつまらせながら話しました。「もしかしたら私たちが話を聞いたことで、被災者の力になれているのかな」とも感じました。
参加した上野地区委員長は、「発言した青年たちが口々に、『片づけをさせていただきました』と謙虚に被災者を思いやる言葉を使っていたことがとても印象的でした。明日から少しでも被災者の力になることと、救援ボランティアにとりくむ青年たちから学びたい」と語りました。

バスで2時間かけて港の清掃作業

いよいよ4日は、朝5時に起きてボランティア活動です。朝食は6時、朝のミーティングを7時に行って、7時30分には出発です。バスは途中、コンビニで休憩をとりながら陸前高田の街中へ。峠道を下ると市街地が一望できるところに。言葉を失います。一面ガレキです。なんにも言えません。ただただ、なくなられた方々のご冥福を祈り、自分の生き方を考えた瞬間でした。

表紙